痛みと情動(第1回コンテンツ)HIDEKAZU HAYASAKA
コンテンツ・テーマについて
第1回目のテーマは「痛みと情動」というテーマで痛みの情動的側面というものをお伝えします。
痛みには慢性疼痛のような苦痛を伴う不快な痛みもあれば、スポーツや筋トレ後の達成感などの一種の快感や喜びを伴う痛みもあります。
同じ痛みでも、状況や感情によって苦痛になったり喜びになったりするわけであります。
誰も、朝起きて腰がイタ気持ちいいからといって病院には行かないないのであります。
何年もイタ気持ち良さが続き、この腰のイタ気持ちよさは何かの病気かもしれない?と不安になった途端に苦痛になり病院に行くのであります。
今まで「ほっとけば治る」と思っていたものが、ネットやTV、広告などを見て気になり、急に不安になることで実際に痛みが強くなったり、長引いたりするのであります。
「Mr.Xの仮説」について
私のブログの読者の方から「どんな治療法がいいですか?」という相談をよく受けるのですが、治療法と一口にいっても、鍼灸、カイロ、整体、マッサージ、サプリ、心理系、認知系、エネルギー系…と無限にあるわけです。
無限にあるというのは、それぞれに効果があるから無限の治療法が存在するということであります。
極端な言い方をすれば何をやっても治る時は治るということであります。
何をやっても治るのであれば、そこには何か共通するものがアルということになるのであります。
逆に、何をやっても治らないというものにも治らない共通点がアルということであります。
共通する「あるもの」とは一体、何でありましょう。
最近では、腰痛の原因はストレスである、心理的な問題、脳の問題であるという認識が広まりつつありますが(多くは治療家が広めているのですが…)心理的因子や脳の問題であれば、心理療法や心療内科、精神科、認知療法が専門分野であります。
なぜ、自分達で痛みは心や脳の問題と言っておきながら鍼灸師や整体師、カイロプラクターなどの多くの治療家が手技を使うのでしょうか?
医師が医師や薬を否定する時代です。
治療家がいるから腰痛は減らないんだという治療家がいる時代です。
一体、治療家の存在意義とは何なんでしょうか?
手技は必要ないのでありましょうか?
「なぜ?痛みは何をやっても消えるのか?」
「治療家の存在意義とは?」
そんな話を痛みの情動的側面から解明していこうと思うのであります。
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