【覚悟】


【覚悟】 

 『知ってしまった事』を黙って見過ごして生活することは出来ない。

 病院で『どんな事を言われ』『どんな事をしているのか』

知っているのに自分の治療院で黙々と治療だけしているのはやるせない。

 手術をすすめられ、どれだけ将来に『不安』を抱いているのか知っているからこそ

ぜったい【希望】を与えたい!! 

行動の源は『知ってしまった』からだ。

あなたはまだ『知らない』かもしれない。 

 それを伝えたいだけ 。

 そして、今は『痛みのミカタ』を伝えたいのだ。

 『痛みの専門家』にとっての【土台】となることだから。 

 あなたは知ってますか? 

 痛みを扱う職業であれば痛みのミカタは『必須』となります。

 それが覚悟です。

 生意気な事を書きましたが、梅酒ソーダ2杯の力を借りての覚悟です。

(玉田篤史)

【覚悟の註釈】

 梅酒ソーダの力を利用したにしても、よくこれだけのことを言い切ったものであります。

 知って知らぬフリをしない、見て見ないフリをしない。 

自分に嘘をつくことを潔しとしないサムライの心であります。 

純真無垢なソノママの心であります。 

【痛みのミカタ】は他を排斥しない、強要しない、否定しない、軽蔑しない。 

全てを包容し、その中に本質を見いだす「実践哲学」であります。

 机上の空論をこねくり回して自己満足する思考の遊戲ではないのであります。

 実際生活、実践から導きだされた生き生きとした智慧であります。 

それぞれの智慧と智慧が結合して新たな智慧、一層大なる智慧となって生きるのであります。

 私は偉い、私はスゴイ、私が、私が、という我のために伝えたいのではナイのであります。

 自分が悩み苦しんで辿り着いた智慧が、あなたのお役に立てるかもしれない、あなたの患者さんのお役に立てるかもしれない、否、あなたなら絶対に生かしてくれるはずだ!!

 だからこそ伝えずにはおれないのであります。

 生かし方は全くもって自由であります。 

我々は、蒔いた種がそれぞれの花となり、新たな種になることが嬉しいのであります。

 それぞれの色に変化することが楽しみなのであります。

 玉田篤史の蒔いたタネを生かすか殺すか、見て見ないふりをするか、行動するか否か。

 それを「覚悟」という一語をもって我々に問うているのであります。

(早坂秀一)

痛みのミカタ

ジャンルを超えて痛みの本質を追求する 「痛みの哲学セミナー」